2023年で結成から51年目を迎えるチューリップ。
しかしチューリップは1989年に一旦解散しているということで、チューリップの解散理由は何だったのでしょうか。
チューリップメンバーの不仲が解散理由だったのか、真相が気になります。
そこでこちらの記事では、チューリップの解散理由は何だったのか、不仲説も併せて調べてみました。
Contents
チューリップ解散理由はなぜ?
オーチャードホールの財津さん公演中止は残念だったけど、来年こそデビュー50周年のチューリップ(再結成希望🙌)に期待しましょう!#財津和夫 #TULIP pic.twitter.com/ugQ0nohRzu
— 🧚♀️オリーブ🧚♀️ (@OLIVE_atsumz) June 5, 2021
チューリップの解散理由は、
- メンバー間でわだかまりがあった
- 財津和夫さんの変化していく音楽性が、他のメンバーと合わなくなってきた
- 主要メンバーが抜けた穴を埋められず、売れ行きが低迷
したからではないかと言われています。
次に、チューリップの解散理由について詳しく紹介していきますね。
メンバー間でわだかまりがあった
小学校の頃かな?チューリップの解散ツワー見に行ったんですよ、、ええ曲すぎて涙でそ pic.twitter.com/ERgIhLwKFD
— Kazuki Takahashi (@kazukinglish) March 23, 2016
チューリップ解散理由の1つ目は、財津和夫さんと他のメンバーとの間で、わだかまりがあったのではないかと言われています。
財津和夫さんはメンバーを他のバンドから引き抜いて、自身のバンドに入れていました。
しかし、演奏が下手だと練習場所を教えないなど冷遇していたそうです。
そのため初期メンバーの末広信幸さん・宗田慎二さんは「財津の敷いたレールの上は歩けない」と言っていたんだとか…。
西南学院高校・大学の同級生でもあった吉田彰さんも、わがままで野心の強かった財津和夫さんについていけず脱退しました。
財津和夫さんは後に
- 「プロへの野心が強かったあまり、他人の気持ちを推し量れず、末広信幸さん・宗田慎二さんを傷つけていた」
- 「自分の中の嫌な部分が見てとれ、振り返ってみてすごく反省させられた」
と語っています。
財津和夫さんの変化していく音楽性が、他のメンバーと合わなくなってきた
ストロベリースマイル/チューリップ
チューリップ解散シングル🍓
後に再結成〜再々結成などありましたがね😄
金閣寺に集合したり「1999年9月9日午前9時9分9秒に金閣寺で会おう」の一言をネットも微妙な時代だったのに…🌷#チューリップ #TULIP #NowPlaying pic.twitter.com/jZqwmYX6TZ— 山奥のお姉さん (@watasiwayamaoku) March 13, 2023
チューリップはメンバー全員が作詞作曲出来るため、財津和夫さんの求める音楽性と他のメンバーとの音楽性がかけ離れてきてしまったと姫野達也さんは語っています。
チューリップは結成当初、ビートルズを意識した楽曲が多かったものの、次第にシンセサイザーやデジタル機器を使用したシティポップ調の楽曲に転向しました。
そして、チューリップのボーカルは財津和夫さんと姫野達也さんの2人体制。
世間では財津和夫さんよりソフトな歌い方の印象のある姫野達也さんの楽曲の方が人気が高かったそうです。
人気低迷に伴い、プロデューサーが急遽リードボーカルを変更することもあったんだとか…。
音楽性だけでなく、リードボーカルをどちらがやるかで揉めていたのかも…。
そんないざこざも、チューリップ解散理由の原因だったようです。
主要メンバーが抜けた穴を埋められず、売れ行きが低迷
学生時代大好きでした。そして、解散後数年が過ぎてまた再結成。とても嬉しくて。それからは毎年1度しか行けなかったけど、チューリップもしくは財津さんのコンサートに行くようになりました。 pic.twitter.com/R2fRhWCxmr
— 雪の華 (@BelovedDream) September 9, 2021
1979年に上田雅利さんと吉田彰さんが脱退、1985年に姫野達也さん・安部俊幸さん・伊藤薫さんが脱退しました。
そのため、結成時のメンバーで残ったのが財津和夫さんのみになってしまったのです。
時代の流れに合わなかったのか、1970年頃に比べ売れ行きが低迷していきました。
1979年のアルバム『Someday Somewhere』以降は、ボーカルだった姫野達也さんがボーカルを外れ、作曲と演奏に専念。
新メンバーを加えたりもしましたが上手くいかず、姫野達也さんがボーカルを取る曲を封印したため、ライブの回数も激減しました。
1987年7月にはギタリストだけでなく、ドラマーが不在になり存続が困難になったことも、解散理由の1つだったようです。
チューリップの不仲説は本当?
今夜のNHK BSプレミアム
今夜は伝説のコンサート
チューリップ
1997年再結成武道館ライブ!観れてよかったです🎶✨
ありがとうございました😊 pic.twitter.com/BJd4V3d9dA— 小パンダさん (@nyan3kopanda) February 6, 2021
チューリップの不仲説は本当のようです。
特に、財津和夫さんと脱退した吉田彰さんは今だに確執があるようです。
財津和夫さんは、
- 吉田彰さんがチューリップを辞めた理由が分からない
- 吉田彰さんが財津和夫さんに大学入学時の入学金を貸してあげたことを、あたかも吉田彰さんが裕福な家庭だから貸してくれたように話していた
など事実と食い違うことを言っていることに吉田彰さん側は不満を抱いています。
そのため吉田彰さんはチューリップ脱退後、音楽活動を辞めて喫茶店店主になり、メンバーとも交流を絶ちました。
財津和夫さんは元々、わがままでワンマン気質だと言われています。
『心の旅』も本当は財津和夫さんが自らリードボーカルをするつもりだったが、プロデューサーが録音直前に姫野達也さんに変更。
財津和夫さんはこのことが不服で長年、根に持っていたといいます。
自分が主役じゃないと気がすまない気質が、他のメンバーとの軋轢を生んだのかもしれませんね。。。
チューリップ再結成の経緯は?
またまたFacebookが昔の思い出を教えてくれました❤️
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先週末のNHKチューリップ再結成1997年武道館コンサート、興奮冷めやらず昔のLPレコード引っ張り出して聞いてます!このアナログ感がまた良し‼️ pic.twitter.com/8seFrDuqYO— kojima (@kojima21517184) February 8, 2023
1995年にビートルズが『フリー・アズ・ア・バード』をリリースしたことに触発された姫野達也さんが召集をかけたことで再結成が実現。
- 財津和夫さん
- 姫野達也さん
- 上田雅利さん
- 安部俊幸さん
- 宮城伸一郎さん
の5人で活動を再開しました。
その後10年間で4回、再結成しています。
1999年には財津和夫さんが解散ツアーの京都公演で言っていた、「1999年9月9日午前9時9分9秒に金閣寺で会おう」という公言を果たしました。
しかし、何度かの再結成の間にメンバーの高橋ひろさん・安部俊幸さんが亡くなり、財津和夫さんも大腸ガンで活動休止。
50周年、55周年も元気であればやりたいと意欲を見せていますが、メンバー全員が70歳以上で財津和夫さんはその中でも最年長です。
年齢的に全国ツアーは体力的に厳しいと語っていますが、同窓会感覚でもいいので元気なうちは頑張ってほしいですね!
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まとめ
チューリップが再結成してコンサートツアーを始めてる。よく聴いたな。
本当は5人なんだけどギタリストの安部俊幸さんが亡くなられて4人に。 pic.twitter.com/uVvAVh7Rdy— ゆきこ (@ou53210s) November 26, 2016
こちらの記事では、チューリップの解散理由について紹介してきました。
まとめると以下のようになります。
チューリップの解散理由は、
- メンバー間でわだかまりがあった
- 財津和夫さんの変化していく音楽性が、他のメンバーと合わなくなってきた
- 主要メンバーが抜けた穴を埋められず、売れ行きが低迷
というのが解散理由だったようです。
さらに、
- チューリップの不仲説はおそらく本当
- チューリップの再結成の経緯は、1995年にビートルズが『フリー・アズ・ア・バード』をリリースしたことに触発された姫野達也さんが召集をかけた
半世紀に渡って活動を続けているチューリップ。
50周年のライブでは姫野達也さんがボーカルの曲を解禁するなど、財津和夫さんは昔に比べ考えも丸くなったようです。
高齢なので無理せず活躍し続けてほしいですね。
最後まで、お読みいただきありがとうございました。